TEDxHimi 2017 での由佐のプレゼンテーションが公開されました

2017年1月29日(日)に
富山県氷見市で開催された「TEDxHimi 2017」でスピーカーとして登壇した
由佐のプレゼンテーション動画が公開されました。

プレゼンテーションテーマは「世界にないものは、あなたの中にある」です。
ぜひご覧ください。

また、以下に由佐のプレゼンテーションの書き起こし文章を記載いたします。

——————–
私は、日本で生まれました。
父の仕事の関係で、9歳から22歳まで、3大陸4カ国で育ちました。

最初に住んだ国はギリシャのアテネです。
私の父は駐在員だったので、まぁポンコツでよくエンジンがかからない車だったんですけれども、シルバーのBMWに乗っていました。
私の家族はよくその車で中心街まで出かけていました。

よく行く交差点のところで、いつもそこに、浅黒い肌の色をした子どもたちがいる箇所がありました。
その交差点で信号が赤になると、その子たちは車に寄ってきてコンコンって窓をノックするんです。
「花を買って」っていうふうに私の方を見ます。
私はそのときに、「全く同じ空間にいるのに、ドアを隔てた外側と内側だけにいるだけなのに、私のいる世界とその子のいる世界は全然違う世界なんだ」という感覚を覚えました。
それは何か、罪悪感のような、申し訳ないような、「何もできなくて本当にごめん」という感じの、謝罪をしたいような、隠れてしまいたいような、言葉ではとても言いにくい、とても複雑な気持ちがありました。
それはもしかしたら、私がこの世界で最初に感じた無力感、といったものだったのかもしれません。
 

私はその後日本に帰って、その日本の中学校は管理教育で有名で、初めて行ったその学校の始業式は、体育館を出るときに頭髪検査がありました。
私はそのようなルール、自分がわからないことだったり、既にできているコミュニティに自分だけがよくわからない、自分だけがいつも孤独だっていう感覚を、それから何回も何回も味わっていきます。

シンガポールにその後父はまた転勤になり、私は死ぬ気で英語を勉強しました。
けれどもクラスに座ったら、一体宿題が何が出てるかもわからない。
その中で私は必死に、その中に溶け込まなくっちゃ、自分だけひとりぼっちで、早くこの人たちの中に入って行かなくっちゃ、っていうふうに頑張って生きてきました。
 

日本に帰ってきてから、私はコンサルティング業界で仕事を始めました。
基本的には顧客の課題を解決する。
何か問題を特定し、そこに対してこういうことやったらその問題はなくなりますよ、という処方箋を描きます。
それを顧客に提案をし、その行動を取ってもらえたら現実は変わるはずだ、あらゆるロジカルシンキングというものを駆使して、私は仕事をしていました。

そこから私はその、関心が人事、人や組織はどうやったら良くなるんだろう、っていうキャリアに変わっていったときに、「どうしてこんなに外側で一生懸命何か行動したり直したりするのに、現実はなかなか変わらないんだろう」ということを考え始めました。
確かに一生懸命何か行動したら一瞬、物事は良くなったかのように見えます。
けれども、また次の問題が起きてしまう。
 

私の関心は人や組織から、社会課題へと移っていきました。
この世界には、たくさんこの世界を良くしようと思って、活動したり運動したりいのちを使ってる人がこんなにたくさんいるのに、どうしてなかなか現実は変わらないの?
そんなとき、私は本当に自分は無力で、自分のやってること本当にちっぽけで、まるでその花を売りに来た子たちに何もしてあげられなかったその無力感を思い出して、絶望するようになっていきました。
 

そんなときに、ある考えに出会います。
「私たちの内側の世界が、外側を創っている。」
この内側の世界が何なのかを、知りたいと思うようになりました。
外側で為す術がない課題がいっぱいある中で、もし人間の内側の世界がなにか変われば外側の現実が変えられるんだったら、内側の世界をどう変えるのか知りたい、と思うようになりました。

その頃私は人事の仕事をするようになっていて、毎日たくさんの人が相談に来ました。
部下が思うように仕事をしてくれない、自分の家族のことで悩んでいる、パフォーマンスが出ない、その悩みはみんないろいろだったけれども、みんな何か変えたい現実を持っていました。
私はその一人ひとりと一緒に、自分の内側にどんなことがあるからその現実が生まれているのか、ということを一緒に探し始めました。
その数は何年か経つと数百人を超えるぐらいになっていました。
 

私はその中から、ひとつの真実を見出したのです。
 
どんな人の中にも痛みがある。
 
その痛みは感情が守っています。
悲しみや怒りといったものを、みんな一生懸命押し殺して、そしてその痛みを二度と味わいたくないというふうに、人生で頑張って生きている。
でも、その痛みを二度と味わいたくない、というふうに行動すればするほど、私たちは頑張ってる気持ちにもなれる、効力感も感じられる、でも創り出す現実はやっぱり不本意なんです。

私はこれを「欠乏モデル」というふうに名づけました。
大きく言うと『世界には愛がない』、もしくは『私は愛されない』、そして『自分には価値がない』、もしくは『自分は何かが欠けている』、もしくは『私はひとりぼっちだ』、こんな信念をみんな心の奥に持っています。
 

私のモデルは『ひとりぼっち』なんです。
私は2歳のときに、妹が生まれるときに、母が流産しそうになって、私は祖父母の家に預けられました。
私はそのとき、言葉を少し話していたようで、多分実情はよくわかっていたんだ、っていうふうに親は思っていたんだと思います。
でも私はそのときに自分が抱えてきた、私の母親が突然目の前からいなくなってしまった、その悲しみを、自分で封じ込めるために、私はどうせひとりぼっちなんだ、という信念を創り出したらしいのです。
私はそれに気付いたときに、自分の人生を全部振り返ってみました。

高校にいたときに、アメリカの高校で高校3年生で、もうみんな卒業間近でみんな仲良くって、私は図書館でひとりで勉強して、ランチの時間恐くて食堂に行くことができなかった。
私はひとりぼっちだったんです。
でも私のそのひとりぼっちという体験は、みんなに言えば「それは頑張ったね」とか「環境のせいだ」っていうふうに言ってくれるかもしれないけれども、私はそのひとりぼっちだという体験を自分で創り出しました。
 

私はこのひとりぼっちを避けるために、20代死ぬ気で働きました。
自分は強くならなくっちゃ、誰に見捨てられても私はひとりで生きていかなくっちゃ、そんなふうに思っていたことに気づいたのです。
私は人を信じていませんでした。
どうして私は見捨てられる、いつかみんな自分の元から去っていく、そうやって人を試して、切られそうになると、自分からその人の所を離れていました。
そんな自分の人生が、本当に走馬灯のように自分の中で巡ったときに、私ははっきりわかったんです。

私は人生を創り出してきた。
そしてその創り出す大元になった信念は、私が望んだものではなかった。
じゃあ私が本当に望んでいる世界は何なのか、私がここの世界から新しい世界を創るには、私は本当は何を思い出したいのか。
そして私は行きついたんです。
私が欲しい世界は、身体がバラバラに見えたとしても、私たちはいのちとして、ひとつにつながっている、という世界です。
 

数年前に、あるアメリカ人の長老、ネイティブアメリカンと言われる部族の長老に出会いました。
彼は私にこう言ったんです。
「人間は本当に大事なことを、生まれてきたときに忘れてしまうんだ。
でも誰もが、この人生をかけて、それを思い出していくんだよ。」
私は、いのちが繋がっているという世界を、この世界にもたらしたい。

私がそれを生きるにはどうしたらいいのか、ということを試行錯誤し始めました。
 

この世界にないものなんか、本当はないんです。
もしあなたがいま、この世界に『愛がない』と思っているなら、あなたの内側にある愛を、世界にこれがある、というふうに表現してください。
その愛を、世界に与えてあげてください。

もしあなたが、『自分は価値がない』、っていうふうに思っているんだったら、人間はいのちとして存在として価値がある、何をやっても何ができなくても価値があるんだよ、って言うこと世界に表してください。

もしあなたが、他の人と比べて何か自分を『劣ってたり欠けている』、っていうふうに感じているんだったら、人間はみんなでこぼこで、一人ひとりできることできないことがあって、だからこそ世界は支え合える、だからこそ世界は一人ひとりがユニークでかけがえのない存在なんだ、っていうことを、世界に表現してください。

もしあなたが『ひとりぼっち』だと思っているなら、あなたは決してひとりではない、ということを思い出してください。
 

私たちはこれまで、何かがない、だからもっとこうならなくっちゃ、だからもっと成長しなくっちゃ、だからもっといろんなものを手に入れなくっちゃ、っていうふうに、私たちの外側の世界はそんなふうに、どんどん豊かになっていたのかもしれません。
でも、私たちの内側の世界が、自分はダメだ、何かが足りない、そんな世界でできているとしたら、そこから創り出せる外側の世界は、本当に満たされた世界にはならない、と思います。

でも私たちは思い出せる。
忘れてしまったものを、いまみんなで一人ひとりが思い出すときだと思います。
一人ひとりが本当に自分の中にあること、本当に全てあるということ思い出し、そこから現実を創る。
どんなに世界に、それが「ない」っていうふうに思えたとしても、あなたが「ない」と思うのは、あなたの内側にそれが「ある」からだと思うんです。
 

私たちの社会はいま、とても大きな転換期を迎えていると言われています。
難民の数は増える一方で、核や放射能の問題もあるし、たくさんの、本当にひとりでは手に負えないと言われているような、問題がたくさんたくさんあります。
それでも私は一人ひとりが、本当に自分の中で大事にしたいものを思い出すために、世界の現実は、私たちの外側の世界に起こること全てが起こっていると思っています。
そこから私たちが自分の内側にあるものを思い出し、そこから本当に自分が生み出したい世界を創り出せたら、きっと世界は希望の持てる場所になっていくと思うのです。

何かすごいことをやろうとか、何か大きなことをやろうとか、世界を変えなくちゃじゃなくって、一人ひとりがいま自分の半径5mでいい、この自分の繋がっているこの日常の、この自分が大事にしたい人たちのつながりの中から、自分が本当に大事にしたいものを表現していける、そんな世界が、私はこの次の世界の希望を創っていける、というふうに思っています。
 

自分たちの外側の世界は、それを思い出すためにすぎない。
私たちは幸せは、内側で感じるから幸せなんです。
何か外側で持っているから、何かがあるから幸せなんじゃない。
私たちは感じることができます。
私たちにあることを感じて、私たちがあるものから表現したときに、私たちは一緒にきっと、希望を創っていくことができると思います。
この人生は本当に冒険で、人生は本当にこの体を通して、体験をしていく。その体験から、私たちは自分が本当には誰なのかを、思い出していく旅なのかもしれません。
私たち一人ひとりが、これからきっと一緒に支えあって、どんなことが外側で起きたとしても、そこから自分たちが本当に大事にしたいこと、そこから起こる力につながって、現実を創造していきたい、人間は現実を創造できるようにできている、完璧に、というふうに思っています。
 

子どもたちに、孫たちに、その先の世代に、本当にこの豊かな自然と、この美しいこの環境を、私は残していってあげたいと思っています。
私は誰よりもその自然を享受してきたと思うし、この豊かさを、本当に人生で楽しんできました。
だからそれを継続して渡していきたいと思う。
そしてここにいらっしゃる皆さんもきっとそうだと思います。
そしてそれは、私たち一人ひとりの半径5mからきっとできる、私はそう信じています。
ご清聴ありがとうございました。
——————–

「TEDxHimi」イベント詳細は こちら