育自の魔法(山口ひとみさん)

青森のとある場所に、50〜80代の老老介護をおこなうお年寄りたちが集まっていた。“育自のための小さな魔法(以下育自の魔法)”の時間はもう終わっているのに、参加者同士の話が終わる気配はない。「よがっだぁー、おもしろがっだぁー。まだやっで」。そうつぶやきながら、みな名残惜しそうに帰っていく。

介護をする人はどうしても介護に付きっきりになり、自分の事が二の次になってしまう。自分を大事にすることが出来ず、自分の気持ちを話す場所もない。だからこそ育自の魔法で、自分の人生の話を聴いてもらい、受け止められる体験が大切となる。「NPO法人育自の魔法」代表理事の山口ひとみさんはそう話してくれた。

現在育自の魔法は全国24都道府県で実施されている。ここ10年間でのべ参加人数は2500人を越えた。NPO法人育自の魔法のファシリテーターが、それぞれの活動地域や分野で企画し、実施している。冒頭の話は、介護のケアマネージャーであるファシリテーターの一人が企画した際の出来事だ。関西では、助産師のファシリテーターが出産を終えたお母さん相手に自宅で実践し、東北では、東日本大震災で被災した方々にも実践するなど、地域も分野も多岐にわたっている。

自分を大事にする、他人を受け入れる

育自の魔法では、まず参加者にライフラインと呼ばれる図を書いてもらう。ライフラインでは0歳から今の年齢までを横軸に、人生の満足度を縦軸におき、満足度が人生の中でどのように推移していったかを線グラフの様に描いていく。描き終わったら4人1組になり、一人ずつライフラインを見ながら自分の人生になにが起こったかを話す。全員が話し終えたら、ほめほめシャワーの時間。ほめほめシャワーでは、名前の通り、話を聞いていた人たちが、話してくれた人の事を褒めちぎる。「笑顔がいいですね」「こういうところですごい大変だったのに、頑張って来たんですね」「みんなを支える気配りをもった人だと思っていたけど、すごく力強い人なんですね」。そうして人生において頑張ってきた事を認めてもらい、自分がきちんと受け止められる体験をする。自分を見つめ、自分の人生を語り、互いに聴き合うことを通して、ほんのひとときでも自分を大事にする時間をもってもらう。子育てをしているお母さんを元気にしようと始まった育自の魔法が、“育児”ではなく、“育自”であるのは、山口さんのそのような想いがある。NPO法人育自の魔法では、現在ワークショップをファシリテートできる人の養成講座も設けており、61名が全国で活動している。

2003年、山口さんは会社の仕事の関係で川越子育てネットワーク(現NPO法人川越子育てネットワーク)の代表と出会い、育児に関しての話をした際、「自分の話を誰にも聴いてもらえない」「悩みや孤独を誰にも分かってもらえない」などの悩みを持つ母親達がいることを知った。彼女達が持っていた悩みは、自分もかつて子育てをしているときに経験したものだった。とりあえずなにかしましょうと、川越市の公民館を借りて、母親達が誰かのお母さんとしてではなく、一人の女性として話せる場をつくったのがはじまりだった。

「自分を肯定的にみられるようになったら、私こんないいところもあるじゃない。辛かったけど、頑張ったよねって自分に言ってあげられる。そうしたら人生が変わって見える」

話を聞いてもらう、褒めてもらう。この2つの単純な行為を通して、自分を大切にし、周りの人を大切にできる人を山口さんは育んでいる。

誰かのせいにしてきた 人との出会いで拡がっていく

小さい頃から山口さんは知らない土地を一人で歩くのが大好きだった。親の転勤でよく引っ越したからだ。大学も人文地理学を専攻し、就職も地域の産業を足で周って調査する会社にいこうと思っていた。しかし時代は男女雇用機会均等法が出来る前。四大を卒業しても女性の仕事はお茶汲みばかりだった。女性が対等に働ける仕事場がいい。そんな理由でコンサルティング会社入社したものの、営業成績が一向にあがらず、ずっと日の当たらない思いだった。暗澹たる日々が続き、迎えた3年目。大きな契約を初めて取れた。これでようやく辛い日々を抜け出せる。心躍った。そんな矢先、妊娠している事が発覚した。夫とは昨年結婚していたが、妊娠の事を知ると矢継ぎ早に会社を辞めろと言った。せっかく日が当たりかけていたのに。直属の上司や社長に相談しても、やっぱり辞めろ。営業部の人はみな、当たり前に自分が辞めるものだと思っていた。悔しくて、家で一人泣いた。まだ辞めると言っていないのにも関わらず、自分が骨身を削る思いで獲得した契約は、上司が勝手に引き継いでいた。悔しかった。そうして専業主婦になったものの、主婦としての生活はつまらなかった。ママ友達はいつも子供の話か、夫と姑の愚痴しか話さない。子供が大きくなったらまた働きたいんだと、胸の内を話すと、「へぇー、偉いね山口さん」と流され、まともに聞いてもらえなかった。誰も私の話を聞いてくれない。私の事を分かってくれない。寂しくて孤独感に包まれた。そして時代がひとみさんの境遇をさらに淵へと追い込む。バブル崩壊とともに、夫は失業。神戸のマンションを引き払い、夫の実家がある長崎に移り住んだ。朝は宅配便の仕分け。昼はスーパーで食品管理、夜はパソコンでネットワークビジネス。生活していくため身も心もくたくたになるまで働いた。ずっと暗いトンネルの中を歩いている様だった。海を見ながらいつも泣いていた。真面目に生きているのに、なんでこんなことになるんだ。夫のせいだ。世の中のせいだ。そうして色んなもののせいにしていた。

転機は友人からの言葉だった。「ひとみさん、あなたはなにが好きなの?」。そう言われたとき、ひとみさんの中でなにかが変わった。それまでもっと認められたい、誰かがこんな状況に自分を追いやったと、意識の矢印がずっと自分の外側に向いていた。しかし自分はなにが好きなんだろうと考えるうちに、だんだんと矢印が内側に向き始めた。自分を探求する旅の入り口に立った気がした。夫と離婚して東京に戻った山口さんは、運良く出産前に働いていた会社に復職することが出来た。復職してからは社内外でコミュニケーションを軸に勉強を始めた。カウンセリングを学ぶうちにコーチングに出会い、川越子育てネットワークの代表と出会い、育自の魔法を始めることになった。
最初は公民館等で山口さんが個人として行っていた育自の魔法は、2005年にNPO法人ファミリーツリーの代表理事である山田博さんと出会った事でさらに拡がりをみせた。ファミリーツリーは子供と親の関係を高める事を通して、人が持つ可能性を育むことを理念とした団体で、育自の魔法とミッションの親和性がとても高い。ひとみさんの活動に共感した山田さんはファミリーツリーの一事業としてこれを組み入れ、大阪や石川、北九州と全国で育自の魔法を開催していった。一時活動が下火になった時期もあったが、噂を聞いた地方から育自の魔法の依頼が来る様になり、2010年神戸市のPTA連合会と共に、阪神淡路大震災で被災した人たちを含む330名におこなった。その半年後には同じ神戸市で、小学校の保護者や先生、自治会長や婦人会のお婆さんなど、様々な年代の人たち220名に育自の魔法を実施した。それまで育児をする母親が対象だった育自の魔法も、徐々に他の人たちからも求められる様になっていった。それからも自治体やコーチングの仲間からオファーは続き、2013年にファミリーツリーから独立しNPO法人育自の魔法となった。

愛するということは

にこにこしながら相手の事を褒めてあげる。褒められる方もついにこにこしてしまう。自分の事を和気あいあいと話す人がいて、それをしっかり頷きながら聴いている人がいる。そんな瞬間に立ち会うと、山口さんの心は常に暖かさを感じていた。「愛するということは、あなたはそういう人なんですねって認めること。存在を認めてあげること。私もたくさんの人を愛したい」。そのような山口さんの想いの奥には、あるがままの自分をきちんと見てもらえず、悔しさと寂しさを湛えた自分の後ろ姿がある。そういう自分がいるからこそ、自分を大切に出来ない人の辛さも、自分の事を話せた喜びもそのままに感じとるのかもしれない。

2014年1月、育自の魔法は初めて海外で実施される予定だ。ロンドン在住の仲間がファシリテーターとなり、在住する日本人向けに行う。上海でも実施する話があり、活動はどんどん拡がっていく。今後はワークショップの内容を英訳し、日本人に限らずそれを必要としている人の元へ届けたいと思っている。夢は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が混じり合い、いまでも宗教対立による様々な争いのもとになっているエルサレムで育自の魔法を実施すること。それぞれが抱える属性は一度脇に置き、一人の人として相手と対峙して、自分の人生を語る。言葉を越え、宗教を越えて繋がり合った人々が、名残惜しそうにその場を去っていく光景が山口さんの目に浮かんでいる。