【第三の道】失われた知恵を求めて 亭田 歩 ☓ 由佐 美加子

失われた知恵を求めて

2012年3月11日。東日本大震災から一年経ったこの日、オーストラリアの先住民族であるアボリジナルの長老たちが被災地を訪れ、謝罪とともに追悼の唄を歌った。

なぜ彼らは謝罪したのか。それは、巨大地震が引き金となって発生した原発災害の責任が自分たちにもあると考えたからだ。

彼らの居住区にジャビルカという山がある。遠い先祖から手放さないようにと言い伝えられてきた山だ。しかし、そこに膨大なウラン鉱脈が眠ることを知った西洋人に騙されるような形で、彼らはその山を譲ってしまった。鉱山となったジャビルカから採掘されるウランの多くは日本に輸出され、原子力発電の燃料として使用されてきた。

アボリジナルの先祖たちは、ジャビルカに転がる石には人の健康に悪影響を与える不思議な力があることを知っていた。だからこそ、その害が他の人に及ぶことを恐れ、決して手放してはならぬと言い伝えてきた。来日した長老たちは自分たちが言い伝えを守れなかったことを悔い、そのせいで悲惨な目に合っている日本に謝罪したのだ。

祈りの唄に立ち会った亭田さんの頭には、ある記憶がよぎっていた。震災後、取材で訪れた岩手県宮古市。そこには昭和9年(1934年)に同市を襲った津波の到達地点を知らせる大きな記念碑が建てられていた。先祖たちは、もう二度と津波によって死者が出ないように祈りをそこに込めたのだ。しかしその想いは忘れ去られ、2011年の津波では記念碑より海側に住んでいた多くの方が亡くなっていた。

人類の先祖たちは、大事な知恵を私たちに伝え残そうとしている。現代に生きる私たちはその多くを失ってしまったが、まだ地球上には知恵を忘れず、真摯に受け止めている人たちがいる。祈りの唄を聞き、その裏にあるアボリジナルの姿勢に触れたとき、亭田さんは強く胸を打たれた。

私たちはいま一度この知恵を思い出し、受け継いでいく必要があるのではないか。その想いを胸に、亭田さんは忘れられたメッセージを探す旅にでた。

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時空を超えたつながりの環

亭田さんは、世界各地、12の先住民族を訪ね歩き、そこで得た叡智を「響き 〜RHYTHM OF DNA〜」というドキュメンタリー映画としてまとめている。完成まで10年かかる大作だ。

取材先の一つとして、まずアボリジナルを選んだ。オーストラリアに渡り、長老たちに会って、語り継がれてきた様々な物語を聞いてまわった。すると、先祖たちが後世に残そうとしていたものは、なにも先に上げたウラン鉱山にまつわる口伝のような危険性を避けるための知恵だけではないことが分かってきた。自分たちが味わった感動も数多く語り継いでいる。その精緻さと豊穣さに、目を見張るばかりだった。

例えば、第一次世界大戦の頃、西洋人が彼らを兵隊にとるためにやってきた。西洋人たちは徴兵を実施することの対価としてタバコを彼らに与えた。あまりの美味しさに驚いたアボリジナルたちは、その感動を祭りにした。タバコを持ってきた人はどんな風貌でどんな服を着て、どんな会話をしたのか。そして自分たちはどのようにタバコを受け取ったのか、その時のタバコの箱はどっちを向いていたのか。そういった事細かな一瞬一瞬を、昼夜問わず一週間かけて演じ祝っていく。

またアボリジナルは後世への語りとして壁画も使う。亭田さんが見た壁画には、カンガルーや魚などの解剖図が描かれていた。それぞれの内蔵や肉の部分が細かく描写されたその壁画は、長老の説明によると、どの部分をどう食べたら美味しいのかを教えるためのものだった。

タバコの祭りも解剖図の壁画も、後世の人々に同じ感動を味わってもらいたいからできるだけ細かく描写するのだ。

アボリジナルは様々な語り継ぐ手段を持っている。語り部による物語の口伝、祭り、壁画、石碑、砂漠をキャンパスと見立てた絵。語り継ぐ目的も、食糧や水の在処の案内や感動の共有、そして危険性の警告など多岐にわたる。しかし底流を流れる想いはいつも同じ、それは愛からだ。自分を愛するように、先祖を愛し子孫を愛する。子孫に及ぶ危険性を我が子に降り掛かることのように憂い、抱いた感動を子どもが母へ伝えるように無邪気に共有する。彼らが残す知恵は、愛そのものなのだ。そして、知恵を受け取った子孫もまた、まるで親からの言いつけを守る子どもの様に真摯にそれを受けとめる。遠路はるばる日本に謝罪しに来るのもそのためだ。

アボリジナルたちは、時空を超えた人と人との繋がりの中にいる。自らの存在が、過去から連綿と紡がれてきた命の先にあることを知り、受け継いだ命を未来へと渡していく担い手であることを自覚している。ネイティブアメリカンは、この繋がりの概念を7世代という言葉で明確に有している。人は自らの3世代前の先祖や3世代後の子孫まで、意識を巡らし想うことができる。そうして想いが繋がる7世代の連続が、この社会を創ると彼らは考えている。

見えている世界の中だけで人との関係性を持とうしがちな私たちは、この時間軸を越えた繋がりの感覚を思い出す必要があると亭田さんは言う。
人間の存在の本質は、繋がりの環であると由佐さんも続く。人と人との繋がり、過去と未来との繋がり。そして生きとし生けるものすべてとの繋がり。そういった繋がりの環の中にいることを自覚しながら生きることが、本来の生の姿であると言う。

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自分の内面が世界を創る

「響き 〜RHYTHM OF DNA〜」の撮影は、12の先住民族のうち、3番目にあたるクリンキットまで終了した。ネイティブアメリカンの部族でアラスカに住むクリンキットは、野生動物を食す狩猟採取民族。そこに何万年も前から伝わるある口伝に、亭田さんは惹付けられた。

獲物を求め、旅をしながら生活をしているクリンキットは、見知らぬ他民族と遭遇する機会が多い。出会った人たちが敵なのか味方なのか。誤った判断は自らの死や家族への危害を招く。決して間違うことの出来ぬ、生死のかかった判断を下さなければならない。クリンキットは、その判断にまつわる口伝を語り継いできた。

その口伝とは「出会った瞬間に、その相手を全力で愛しなさい」というものだ。

自分たちの身を守る唯一の方法は、敵か味方かの判断をせずに、出会った人を愛すること、それも全力で。この口伝が伝えようとしていること、それは、周りの世界は自分から切り離されて存在しているのではないということ。自分の態度や考え方が、世界の様相を形作っていく。この場合、もし出会った他民族を疑い始めたら、その疑いは相手へ伝わり、自分たちへの猜疑心を呼び覚ます。そして次第に敵へと変貌していくのだ。全力で愛するという行為は、仮に相手が猜疑心を抱いていたとしても、それすらも溶かしていくものなのだ。

自分の内面の状態が周りの世界を創り、ひいては社会全体を創っていく。亭田さんは、いま社会で起きている様々な対立の根底には、一人ひとりの内側の分離があると言う。友達といるときの自分、家庭での自分、職場での自分。軸が定まらぬことで人は不安となり、その不安が対立を引き起こす引き金となっている。由佐さんも、同じように世界の構造を捉えている。自分の内側を「善」と「悪」に分け、常に至らない自分を是正しようと努力する。そして同じレンズで世界を善と悪に分類することで争いが生じていると考えている。

亭田さんや由佐さんが問題視する精神の分離。実は、それを一つに統合していく知恵を先住民族は既に持っていた。

冒頭で紹介したオーストラリアの先住民であるアボリジナル。彼らは「ジャンク」という概念を有している。ジャンクとは、善と悪、その両極を示した言葉。行き過ぎた善は、すぐさま悪に転ずる。世界を善と悪に分けず、その両極を恐れるという意味がジャンクという言葉にはある。

アボリジナルたちはこの世に善と悪という二元的な考え方があることを知った上で、敢えて「ジャンク」という言葉を使い、自己や世界を視る目から善悪を外そうとした。世界を善悪に隔てず、繋がりの環の中に自らを収め続ける。これは言葉を越えた、生きる知恵だと亭田さんは言う。

行動の先に希望を見出す

先祖たちが伝え残してきた様々な知恵。それは、彼らが苦しみから紡ぎだした経験則だ。そして先祖同様、いまを生きる私たち自身、日々の生活の中で起こる様々な経験から自分にとっての知恵を生みだしている。亭田さんの場合もそうだった。

幾多の回り道を繰り返しながら、たどり着いたいまの映像作家という肩書き。ここまでの道のりは、「とても苦しい泥んこの中を、色んなことをやって耐え抜いた」と表現するほど、生易しいものではなかった。若い頃はダンサーをし、コメディの勉強をしていたことあれば、脚本家をしていた時期もあった。スーパーのレジ打ちだってした。行く末が分からず、自暴自棄になりかけたことも何度もあった。そのたびに多くの人と出会い、ときに救われ、ときに傷つきながら、それでも歩みを止めることなく進み続けた。そうして苦しみを経たいまだからこそ、「響き」という作品の製作に信念を持って臨めている。

亭田さんは自らの歩みの中から「希望があるから行動するのではなく、行動するから希望が生まれる」という知恵を得た。どんなに絶望の底にいるときでも、自分が行動し続ければ、一寸の希望の光が現れてくる。絶望的な状況に嘆くのでもなく、誰かを恨むのでもない。自分が変わることで、望む未来を見出していく。

先祖の口伝を守れなかったことで、日本が悲惨な目に合っていると謝罪したアボリジナル。相手が欺いたとしても、それを自らの責任であると考えるクリンキット。そういう彼らの姿に亭田さんは自分を重ねていた。

亭田さんは、苦しみは神様の贈り物であると言う。人は、苦しみによってのみ成長できると考えているからだ。そうして得た知恵が織りなされて行った先に、その人にしか果たせぬ役割が現れてくる。

亭田さんは、人類が見出した知恵の伝道者であり、自ら知恵を生みだし実践する13番目の先住民でもあるのだ。

DSC00968亭田 歩(ていだ あゆむ)
ドキュメンタリー映像作家
世界12の先住民族を訪ね、彼らが語り継ぐ先祖代々から伝わる人類の叡智を紡ぎ、世界に伝えるドキュメンタリー映画「響き ~RHYTHM of DNA~」を2020年公開に向けて制作中。

 

(ライター:渡辺嶺也)