【第三の道】全体性の循環とつながりの中に生きる ~ 世界の新しいものがたり ~ サティシュ・クマール x 由佐 美加子 – 前編 –

~第1部~「由佐との対談」

※ サティシュ・クマールさんは、1936年にインド北部ラジャスタン地方の村で生まれた。幼くして父と生き別れたサティシュさんは、その悲しみを乗り越える道を探し、9歳のときにジャイナ教に出家し修行僧となった。しかし、ガンジーの非暴力思想に感銘を受けた彼は、18歳のときに自ら僧衣を脱ぎ、還俗。そして1961年、当時核兵器を保有していたロシア、フランス、イギリス、アメリカを、インドから徒歩でまわる無銭の旅を決行し、約1万3000キロの道のりを2年半かけて踏破した。

1982年には自宅のあるイギリス南西部ハートランドに、11歳から16歳までの学生を対象とした学校「スモール・スクール」を設立し、既存の学校教育に代わる、生徒たちがより自発的に学びを深められる教育の在り方を実践。さらに1991年には持続的な社会を創ることを目的とした国際的な教育機関である「シューマッハ・カレッジ」を設立。時代を代表する思想家や活動家らが講師となり、1~3週間のショートコースや1年間の修士課程コースが提供され、2006年までにのべ88カ国、3000人が学びを修めた。※
(由佐)

いま私たちはどのような時代に住んでいて、個人としてどのような移行をすることができるのでしょうか?

(サティシュさん)

まず第一に、この美しい部屋でみなさんにお話しできる機会を作っていただきありがとうございます。

我々は、困難な時代に出会うために共にここにいます。困難な時代に直面するということは、とてもいいことなのです。もし簡単な時代だったら、寝てしまいます。困難な時代だからこそ活動できるのです。私の母はよく言いました。Welcome to difficulty (困難さを、喜んで向かい入れなさい)困難があるときは、それに対して創造的で挑戦することができると母は言いました。だから困難な時代だからこそ、がっかりしたり落ち込まないでください。

さて、困難さには2種類あります。外の世界の困難さと内の世界の困難さです。まず自分の内側の困難に挑戦する必要があります。我々の教育や文化、社会は我々に恐れを感じさせて、表に出て行かないようにしています。なので内なる困難さに立ち向かうためには、恐れと恥を手放す必要があります。そして、勇気を持って自分を信頼する必要があります。我々は、大きな物語、新しい物語を創る能力を持っています。そのパワーとエネルギーを信頼してください。一人でなにもできない、誰も聴いてくれないと思わないでください。

私は勇気のメッセンジャーです。私は平和のためにお金を一切持たずにインドから歩き始めました。ニューデリーからモスクワ、パリ、ロンドンそしてワシントンまで行きました。そして東京にも来て、お金を一切持たずに広島まで歩いたのです。8000マイル歩きました。1万3000キロです。勇気と信仰、そして自分のハートへの信頼を持って歩きました。
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第一に言えることは、新しい物語を創りたかったらハートに信頼と勇気を持ってください。勇気を持って恐れがなくなったときに、外の世界の困難さと向き合えます。変革は弱い、恐れを持った、恥ずかしがり屋の人にはできません。新しい物語を創るということは長い旅路です。私がインドからモスクワ、ワシントン、そして東京から広島まで歩いたように。

我々の新しい物語は、分離からみなさんが再び団結していくという物語です。社会や文化、教育は我々が分離しているということを教えてきました。自然からも分離しているし、他の人からも分離していると。しかし我々は大自然の一部、すべての人と一体なのです。空気がなければ我々は生きることはできません。なので我々は空気の一部でもあります。大気を汚染したら、気候変動を起こしたら我々自身が苦しむことになるのです。我々は水から作られています。身体の70、80パーセントは水です。水とは別の存在ではないのです。水を汚染したら我々が苦しむことになります。我々は大地の一部です。大地なしでは、食べるものはありません、水もありません。我々は、土、水、空気、火、スペースといったものから作られています。

産業社会は、自然は単なる経済の資源だと教えてきました。しかし自然は資源ではなく、命の源です。我々が大自然なのです。ラテン語では、「大自然(ネイチャー)」という言葉は「生まれる」という意味を持っています。母親が妊娠したとき病院で診察することを「プリネートルチェック」と言い、生まれた後の産後の診察は「ポストネートルチェック」と言います。その時の「ネートル」という言葉は、「ネイチャー」と同じ語源なのです。だから我々が大自然であり、大自然に対してすることは我々自身にしていることでもあります。古い物語というのは、大自然と人間が分離しているという物語です。分離しているときは、大自然をコントロールしたり、服従させたり、自分の思い通りにしたくなります。しかし、我々が大自然の一部であるのなら、大自然の面倒を見て、思いやりを持って、そして共にいるということを実践する必要があります。

我々の社会に対しても、同じ物語をつくっています。

我々が教わったことは、日本人は中国人や韓国人とは別だ。アメリカ人はロシア人とは別だということです。そして、ヒンズー教徒はイスラム教徒とは分離している、ユダヤ人はキリスト教徒と分離していると教わってきています。黒人は白人と分離し、男性は女性とは別物であり、若い人たちは年寄りの人とは別であると教わってきています。この分離という考えに終わりをもたらす必要があります。あなたは日本人である前に、中国人である前に、ロシア人である前に、アメリカ人である前に、ひとりの人間です。そしてあなたはヒンズー教徒である前に、イスラム教徒である前に、キリスト教徒である前に、仏教徒である前に、ひとりの人間です。

私が世界中を歩いたとき、インド人として歩きませんでした。もし私がインド人として歩いたなら、私はパキスタン人、アメリカ人、ロシア人と出会ったでしょう。私はヒンズー教徒としても行きませんでした。もしそうだったら、イスラム教徒、キリスト教徒と出会ったでしょう。私は人間として行ったので、どこに行っても人間に出会うことができたのです。

我々の社会的問題はこの分離という考えから生まれています。多様性は、分離ではありません。私は、多様性を大切にしたい。日本の文化、中国の文化、ロシアの文化、インドの文化、先住民族の文化を、分離を感じずにお祝いしたい。
一致していること(Unity:ユニティ)は、みな同じことをする(Uniformity:ユニフォーミティ)ということではないのです。我々の近代社会、文明社会は、すべてが均一なもの(ユニフォーミティ)を生みだしています。銀座のビルを見たとき、そのビルはどこにでもあるのです。ロンドンにも、ニューヨークにも、ロサンゼルスにも、ニューデリーにもあります。多様性が失われてしまっています。ですので、みなさんの多様性を守ってください、文化を守ってください。そのとき自分たちを他の人たちと分離していると思わずに、です。
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勇気を持ち、自分の心を強く信頼しているときに、世界を変容させることができます。私はイギリスでシューマッハ・カレッジという学校を始めました。世界中から人々を集めて、自分たちは世界を変容させる力を持っているということを思い出してもらっています。

みなさんの信頼、勇気、そしてコミュニケーションの力を養ってください。みなさんはブッダやガンジー、マザーテレサ、芭蕉や北斎になる可能性を持っています。ガンジーの腕は2本しかありません、4本ではありません。足も2本しかありませんでした、10本ではありません。彼と私たちとの間に違いはないのです。唯一の違いは、彼は恐れを持っていなかった。勇気を持っていた。私は少し恐れを持っているからとても小さいのです。なので私は恐れを手放そうとしています。私が日本語を話せないから、ここで話すべきではないという恐れすら持っていません。

リスクを冒すというのは、人間の人生の一部です。仕事がある、ローンがあるのでなにもできないという人がいます。そういう人に私は言います。仕事を辞めてください。家を売ってください。そして活動家になってください。あなたはブッダです。芭蕉にはローンがあったでしょうか。北斎が東京の銀行に勤めていたでしょうか。ブッダになってください。ガンジーに、芭蕉に、北斎になってください。

あなたは特別なのです。でも自分はなんでもないと思っている。自分を卑下する考えを変える必要があります。さもなくば、古い物語を変えることはできません。新しい世界を創る能力を我々は持っています。美しい世界、文化、芸術の世界を創りだすことができます。

国々がある世界、我々がただの道具である世界、そして経済の一員である世界に住む必要はないのです。いまは経済が人のためにあるのではなく、人が経済のために存在してしまっています。経済が上司になり、人間が部下になってしまっているのです。これが古い物語です。新しい物語は、経済が人に従い、人間が主人である世界です。私のメンターであるE.F.シューマッハは、「スモールイズビューティフル」という本を書いた人です。彼にちなんで、私の大学をシューマッハ・カレッジと名付けました。彼は、経済というのは人間、そしてこの惑星の出来事であるべきだと言いました。いま現在は、経済の名の下に人間の幸せが犠牲になり、家族やコミュニティ、農業、そして芸術が破壊されてしまっています。
私は日本の文化を思い出してもらうために、日本に来ました。日本が大好きです。とても美しい国です。とても快く迎えてくれました。とても美しく素晴らしい芸術や音楽、茶道などの文化がたくさんあります。でも東京大学に行ったり、横浜の大学に行ったり、どんな大学に行っても、日本の文化を一切教えていません。文化でないものを教えているのです。経済の奴隷になることを教えています。なので大学を変える必要があります。日本の大学は日本の文化を教えるべきなのです。日本は貧しい国ではありません。なぜそんなに心配して、もっと経済もっと経済と考えているのですか?

5万年間持続可能な社会を創るべきなのです。三菱やホンダやソニーが5万年の間、モノを生産し続けることができるでしょうか。新しい世界観が必要なのです。新しい経済。エコロジーとバランスを持って、調和している経済。繁栄も必要ですが、精神的な繁栄も必要です。この部屋の中にたくさん人がいますが、みなさん立ち上がって、人間性のための新しい未来、新しい経済、新しい物語を創ってください。

(由佐)

ものすごい情熱だと思うのですけど、その情熱はどこから来ているのですか?

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(サティシュさん)

私の情熱の源は、考えないことです。その代わりに、感じます。エネルギーはハートからやってきます。そしてぐったりした無気力感は脳からやってきます。我々は考えて過ぎている。そして十分に感じていない。

私は自然への感情を持っています。文化や芸術のための気持ちを持っています。人々への心を持っています。そしてなにかがおかしいと感じたら、私はそこから立ち去ります。

エネルギーはハートからやってきます。ハートのラテン語は、クラージ。そこから、カレッジ(courage:勇気)という言葉がきています。エネルギー、インスピレーション、勇気、それらはすべてハートからやってきます。

我々の教育システムは、ハートの質を育むことを一切していません。あまりに脳を扱っています。脳は、身体の一番てっぺんのたかだか5センチです。残りの身体の部分が忘れられています。我々の教育システムは、手で何かすることを一切教えていない。大学を卒業したとしても、野菜の育て方、料理の仕方、家の建て方、服の作り方も知らない。机の前に座り、コンピューターの遊び方しか知りません。どうやったらそこからエネルギーが生まれてくるのでしょうか。情熱や勇気がほしかったら、ハートを養ってください。情熱を持っているときに、慈悲の心を持てます。それが秘訣です。
(由佐)

昨日、サティシュさんと「Tender Loving Care(優しい、思いやりのあるケア)」というテーマで一日のリトリートをしました。サティシュさんの歩いている様子を見ているだけで、すごい色んなことを感じながら歩くという感覚があって、ゆっくり歩くし、いまここにいる人と本当に集中してお話をされる。外のスピードについていくために、頭を高速回転させてなにかやるというのがいまの私たちの生き方だと思いますが、それは感じることをすごく損なうのだなと思いました。
(サティシュさん)

Tender Loving Careというのは、とても人間的な質です。E.F.シューマッハは、オーガニックの庭師でもありました。彼は除草剤などの人工的な肥料や薬品を一切使いませんでしたが、それでも彼の野菜はとても大きく育ちました。

ロンドンの友人が彼を訪ねたとき、みなこう言いました。「あなたは有機農業をしていて、なぜこんなに大きく野菜を育てることができるのですか?」 シューマッハが「私は、TLC(Tender Loving Careの頭文字)をここに入れたのです」と答えると、「どこでそのTLCを買えるのですか? いくらですか?」と尋ねるのです。シューマッハは「結構高いよ」と冗談で返します(笑)
シューマッハは、植物に話しかけ、肥料を与えて、Tender Loving Careをたくさん与えることで育てていました。

近代物質社会は、Tender Loving Careを失ってしまっています。熱帯雨林を切り倒すことは、大自然に戦争をしかけているのと同じことなのです。アメリカやオーストラリアなどの先進国にある大きな牧場がどうやって運営されているかというと、機械によって牛の乳が搾られています。そこには一切Tender Loving Careがないのです。牛は狭い牢獄のようなスペースの中で、一生日の目を見ることがない、人間とコンタクトを取ることがないのです。そのような環境の中でどうやってTender Loving Careを与えることができるのでしょうか。だからこそ私は言います。すべてのものの中で、Tender Loving Careを育む必要があると。

(由佐)

人間は、Tender Loving Care、つまり愛からエネルギーを使うという能力を持っていると思う。それと同時に私たちは恐れを持っていて、それが分離感を生み出す。そういった2つの面を持っています。これまでの時代は、恐れとか足りないという気持ちからくる欲望などが社会を作ってきたし、文明の発展をもたらしてきた。でも、知性や技術が発達した一方で、そのTender Loving Careの能力を使うことを希薄化させてしまったのではないでしょうか?

(サティシュさん)

インド哲学には、2つの言葉があります。エゴとアートマンです。エゴは、欲望や執着、権力への願望を象徴し、アートマンは寛大さや慈悲、共有する心、そして愛などを顕します。我々自身のために自然を搾取すること、それはエゴの質です。また集合的なエゴというのもあります。

我々がなにをする必要があるかというと、新しい世界観を創り、その中でエゴを最小限にすることです。エゴは、人間の一部なのです。しかし、それを小さくすることはできます。今もなお、教育やメディア、政府は我々のエゴが大きくなるように扇動しています。そしてアートマンの質がほとんど忘れ去られてしまっています。お寺ですらもっとお金を稼ぎ、商業的な成功を考えています。なのでエゴとアートマンのバランスをとるために、新しいムーブメントが必要になります。そしてメデイアや教育の中でアートマンを最大化させ、エゴを最小化させるなにかが必要になるのです。

ちょっとした恐れや怒りは、人間の人生の一部です。みなさんのご飯に醤油をちょっとかけるようなもの。でもみなさんのお皿の上にご飯が一切なくて、醤油しかなかったら、晩ご飯になりません。いま現在我々の社会は、醤油醤油醤油で、ご飯が一切ない。

なので、アートマンを最大にして、エゴを最小にするのが答えです。

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(由佐)

その通りなのだと思いますが、エゴを出さないと生き残れない感覚があります。強くないといけないと言われ、比べられながら教育を受けています。アートマンが働かない理由は、自分自身へのTender Loving Careが教えられていないからではないでしょうか?

(サティシュさん)

その通りだと思います。

私たちは、常に上から押し付けられていて、自分のケアをすることは身勝手だと考えさせられています。自分自身を愛することはスピリチュアルなことで、アートマンでもあります。自分を愛していなかったら、どうやって人を愛することができるのでしょう。そして、もしあなたが自分を愛していなかったら、なぜあなたは私に愛して欲しいのでしょうか。親や教師や社会に気づいてほしい。他の人を愛する一歩として、自分を愛することが大切であるということを。

飛行機に乗っていて、非常事のとき、出てきた酸素マスクをまず第一に自分に着けるように言われます。子どもよりも先に自分に着けろと。同じ原理が、我々の日常生活にも適用されるべきなのです。まず自分自身の面倒をみることで十分に強くなり、そして他の人の面倒をみることができるようになる。

なぜエゴがこんなに我々の社会の中でもてはやされているのかというと、本当のエゴは金持ちになれるからです。そして大企業はあなたを使うことによって、企業自体をもっと大きくすることができる。しかし、Tender Loving Careやアートマンを持ってなにかをするとき、小さなスケールの経済が必要になります。E.F.シューマッハは、それを仏教経済と呼びました。たくさんの経済学者がシューマッハに聞いたのです。仏教と経済がどう関係あるのか。経済というのは、銀行とか商業とかについてではないか。シューマッハは、言いました。経済に仏教や人間的な価値観、スピリチュアリティがない場合、それは香りのない花のようなものだと。

我々自身に愛情と思いやりとケアを持つこと、自分自身の面倒をみることが大事です。そうしたあかつきに、人間の身の丈の経済、産業、素晴らしい社会を創ることができます。Tender Loving Careの経済は、廃棄物のない、汚染のない経済になります。

日本の政府、中国の政府、インドの政府にまたがる国際的な法律をひとつ提案したいと思います。経済は廃棄物を一切つくらず、汚染を一切しない。ホンダ、ソニー、マクドナルド、コカコーラ、廃棄物を出さないのであれば、なにをしてもいい。

大自然の中には廃棄物は一切ありません。大自然の中ではすべてのものがリサイクルされています。循環的な経済なのです。しかし我々の産業社会は、大自然の中から自然を取り出し、ほんの短い時間使用し、捨ててしまう。私はそれを、リニアエコノミー(線上の経済)と呼んでいます。それを循環的な経済に置き換えたいのです。大自然から取って、使ったらまた大自然へと還す。木は土から栄養を吸い上げて、葉っぱや果物を育てる。それが地面に落ち、コンポスになり、地面が豊かになる。

私が言いたいことは、我々の内側にある社会、心構え、心理状態というのは外側の産業や社会構造とつながっているということです。我々は歩いているとき、個人社会個人社会、内側外側内側外側というように、2本の足で歩いています。自分自身を変えることなく、世界を変えることはできません。

ガンジーは、be the change you want to see in the world (あなたが見たい世界の変化そのものになりなさい)と言いました。なぜなら、あなたは世界そのものだから、あなたが変わり始めた瞬間、世界は変わり始めているのです。世界には70億の人がいます。だから70億の革命が必要なのです。

それが世界に二元性のない状態の本質です。個人と社会の間に分離がない状態です。

(由佐)

私たちは世界に対して、世界に「対する」って見ていると思っています。世界はオブジェクト、対象物となっていて、だから世界を「変えよう」とする。でも私たちが世界の一部であり、自分の生き方で世界が変わるということは、すごい勇気をくれる考え方だなって思いました。

(サティシュさん)

その通りだと思います。

私がどうやって1万3000キロの旅をしたかというと、一歩一歩歩くことでした。変革は旅路です。我々は全員人生の巡礼者です。あなたは世界であり、あなた自身を変えることで世界を変えています。

ブッダやキリスト、芭蕉などの偉大な人たちは、まず第一に自分を変えるところから始めました。

新しい物語は、世界を自分とは異なるものとして見ないこと。我々は大宇宙の小宇宙なのです。私は世界を象徴します。

(由佐)

人間がこの星にいる役割はなにかっていう問いがずっとあって、それはすべての命に対するTender loving Careなのではないでしょうか。宇宙に代わって、生命に対してTender loving Careをできる力を人は持っている。でも現実は環境破壊などその逆のことをやっていて。そのことは本当は人間にとっていたみなのではないでしょうか?

(サティシュさん)

確かに、人間はお互いと大自然にダメージを与えています。でも人間がやっていることはそれだけではありません。例えば、戦争を考えてみてください。いまこの瞬間にもどこかでそれは起こっています。イラク、パレスチナ、ウクライナ。でも、どの瞬間も戦争に携わっているのはごく一部の人たちだけです。70億のうち、せいぜい100万人、200万人。それ以外の人たちは農作業をしたり、子供を育てていたり、仕事をしたりしています。人生の中でも同じことです。怒ることもあるでしょうけれど、それは1日5分程度のものでしょう。それ以外の時間は愛情に満ちています。全体像を見失わないようにしたいのです。信頼を持って、ポジティブな世界を見て、その上で環境問題や戦争、恐れに対処してください。

私は楽観的です。活動家は楽観的であることが必要不可欠です。悲観的になったら諦めてしまいます。私は世界を見て、人間の精神は回復力(レジエンス)を持っていると感じました。人間の精神に信頼を持って活動して、世界観を変えていく必要があるのです。(前編終了)
(ライター:渡辺嶺也)

 

※内は、対談で話された内容ではなく、以下の参考文献を元にライターが加筆した箇所になります。

サティシュ・クマールの今、ここにある未来

Schumacher College

THE SMALL SCHOOL