【第三の道】 縄文の日本人の心を伝える「ホツマツタヱ」から世界観とリーダー像の原点に立ち返る 一糸恭良(ホツマツタヱ研究家) × 由佐美加子

「第三の道」第4回は、縄文時代の日本人の世界観を伝えるという歴史書『ホツマツタヱ』の研究家、いときょうさんこと、一糸(いと)恭良氏をゲストに迎えた。古代日本人は世界の始まりをどのように捉えていたのか。そしてあるべきリーダー像をどう描いていたのだろうか。日本人らしい第三の道のあり方を考えるため、「ご先祖様」という原点に立ち返る対談となった。

古事記・日本書紀より古い?『ホツマツタヱ』

『ホツマツタヱ』とは、いったいどのような歴史書なのだろうか。ホツマツタヱは漢字やひらがなではなく、「ヲシテ」文字と呼ばれる、漢字が日本に入ってくる前からあったとされる古代文字で書かれている。分量はそのヲシテで約11万字に及び、40のアヤ(章)から成っている。記紀では神話となっている部分、例えばアマテラス(ホツマツタヱはアマテルカミと記述する)の事績も、実在した人物のものとして書かれており、紀元前5000年ごろ、つまり縄文時代からの日本の歴史が記録されているという。「江戸時代に作られた偽書である」という説がある一方で、「『古事記』『日本書紀』(両方合わせて、記紀と呼ばれる)よりも古い歴史書である」とみている人もいる。

 

ここまで聞いただけでも、少しでも日本史をかじったことがある人なら、「おいおい、ちょっと待って」と言いたくなることだろう。日本で最も古い歴史書は、いずれも奈良時代に編纂された記紀ではないの? 漢字が日本に入ってくる前、日本に文字はなかったんでしょ?――。といった疑問が湧いてくるはずだ。

 

いときょう氏も、「ほんまかいな」から始まった

子どもの頃から古代史に興味があったといういときょう氏自身も、「漢字以前に日本に文字があったなんて、ほんまかいなと思った」と、ホツマツタヱに出会った時のことを振り返る。『現代用語の基礎知識』発刊時の編集長としても知られ、現代におけるホツマツタヱ研究の先駆者であった松本善之助氏が1980年に著した、『秘められた日本古代史 ホツマツタへ』を偶然手にしたことが、いときょう氏とホツマツタヱの出会いだった。「その時は、私も書いてある内容がにわかには信じられなかった。それから20年ほど、その本は私の本棚を出たり入ったりという状態が続きました」

 

ある時いときょう氏は、その本に書いてあるホツマツタヱに関係する神社に行ってみたいと思うようになり、福井県小浜市の若狭彦神社を訪ねた。この神社は「海幸彦山幸彦」神話の、山幸彦ゆかりの神社だった。「大きな古木があり、古のたたずまいを残す威厳のある神社でした」と、いときょう氏。ホツマツタヱでは、山幸彦はホホテミと呼ばれ、アマテルカミのひ孫にあたる、古代の天皇であると記されている。「この旅を終えて、私の心にホツマツタヱをもう少し知りたいという思いが芽生えたようです」

 

「ホツマサミット」に研究者150人が終結

こうしていときょう氏は、ホツマツタヱにゆかりのある日本各地の神社を訪ねて回るようになった。行った先々で出会った人にホツマツタヱに関心があることを伝えると「ここに詳しい人がいる」「ここで教えている人がいる」と情報が集まるようになり、人脈が広がっていった。2012年には伊勢・二見浦で「ホツマサミット」を初めて開催。全国から約150人の研究者が集まった。「そこでわかったのですが、ホツマツタヱの研究者は、みんなひっそり一人で研究を進めていた。このサミットから、急に横の連絡が密になりました」(いときょう氏)。サミットをきっかけに出来あがった研究者のネットワークで協力し、ホツマツタヱ全体の現代語訳が最近完成した。「ホツマツタヱを読み込んでいくと、これは日本の真の歴史を伝える歴史書であり、縄文時代から受け継がれている日本人の物の見方、考え方を理解できるものだとわかる。私はそう信じているし、こんなすばらしいものをもっと多くの人々に知ってほしいと思い、ホツマツタヱを研究し、出版や勉強会に取り組んでいます」と、いときょう氏は語った。

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 富士山が、記紀にはまったく登場しない不思議

ホツマツタヱと記紀。その歴史の記述には、どんな違いがあるのだろうか。最も大きな違いは、「ホツマツタヱには登場する富士山が、記紀にはまったく出てこないことです」(いときょう氏)。ホツマツタヱでは、富士山はアマテルカミが生まれた重要な場所として登場するのに、記紀ではそういったエピソードがきれいにカットされている。またアマテルカミはホツマツタヱでは実在した男性のアマカミ(天皇)であると記述されているのに対し、記紀では女性の神になっている。

 

こうした記述の違いについていときょう氏は、記紀が成立した時期が関係しているのではないかと語る。「古代の大きな権力闘争だった壬申の乱(672年)から、わずか数10年後に記紀は成立している。権力闘争が何らかの影響を及ぼしたのかもしれない」。また記紀の成立には、中国や朝鮮などからやってきた渡来人が協力している形跡がある。このことも記述の違いに影響しているのではないかと、いときょう氏は話した。

 

渦から始まる、古代日本人の考えたビッグバン

いときょう氏はホツマツタヱを記している日本の古代文字「ヲシテ」が、古代日本人の世界観とどう関係しているのかについて話した。以下、いときょう氏が語ったことは、基本的にいときょう氏が解釈した、ホツマツタヱの内容に基づいている。

 

古代日本人は、創造神「アメミオヤ」が大きな息を吐くことで、ビッグバン「アウワ」を起こしたと考えていた。アウワのウは、アメミオヤが吐いた「ウー」という息の音を表わしている。「この息がきっかけとなり、左巻きの渦『ア』と右巻きの渦『ワ』が出現しました」。このビッグバンから生まれた五元素が、ヲシテの母音、ア・イ・ウ・エ・オに対応している。アはウツホで、空、生命誕生のイメージ、イはカセで気体循環、ウはホで火、始動・動き、エはミツで流水、オはハニで土、固まった大地のイメージをそれぞれ指しているという。

 

タマを喜ばせるため、シヰの欲はほどほどに

現代語で魂(たましい)というと、肉体は伴っていないイメージがあるが、古代人の考えるタマシヰは、霊魂と肉体がセットになったものだった。霊魂にあたるタマは、五元素のうちア・イ・ウが相当し、「この世を楽しむ存在だと考えられていました」(いときょう氏)。一方肉体にあたるシヰは五元素のエ・オに相当し、欲望を持つのはシヰの方だと考えられていた。「タマを喜ばせるためには、シヰの欲はほどほどに抑えなければならないとされていたのです」

 

また古代人の世界観には宇宙の大本である「アモト」と現世が存在し、アモトからやってきたタマが、現世でシヰと合体することで、人になると考えていた。そして死が訪れると、タマだけがアモトに戻っていく。戻っていくタマのア・イ・ウという元素のうち、ウが生前の記憶を持って、アモトに戻っていくのだと古代の人々は信じていた。こうしたタマが往還するという考え方が、「輪廻転生、『この子(孫)はおじいいちゃんの生まれ変わりだ』といった感覚につながっていったのでしょう」と、いときょう氏は話した。

 

縄文人のカミとは、指導者だった

ここで由佐は、「古代日本の国家統治のあり方には、他とは違う特徴がありますよね。その話をしてほしい」と注文。いときょう氏は、「日本には神という漢字が入ってくる前から、カミという言葉をもっていました。それは漢字で書くなら、守の方があてはまる。縄文時代はカミとは指導者の意味だったと、ホツマツタヱを勉強するとわかってきます」と説明を始めた。因みに古代の日本では、天皇はアマカミと呼ばれていた。

 

古代日本の社会にはカミ、トミ、タミという分業体制があった。カミは前述したように、リーダー、指導者のこと。トミはリーダーの言葉を咀嚼し、タミに伝える役割。そしてタミはトミに教わりながら、働く人々のことを指す。「タミはヲシテ文字では、何かを上から受け取り、下におろしていくという意味。一方漢字の民は、目を潰した奴隷状態の人を指す文字でした。かなりイメージが違うことがわかります」(いときょう氏)。カミ、トミ、タミは身分制というよりは分業体制のイメージに近いものだったという。

 

指導者が守るべき教えを象徴する、三種の神器

分業体制だからカミは指導者として好き勝手できるわけではなく、カミとしての役割を果たす教えに従う必要があった。いときょう氏は「その教えを象徴するのが、今も天皇家に伝わる、三種の神器なのです」と説明する。三種の神器は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)八咫鏡(やたのかがみ)から成る。その中心となるのは勾玉で、カミが従うべき「トの教え(とのおしえ)」を象徴しているという。「宇宙から大いなるエネルギーをいただき、それを使って民に尽くすことを示しています」

 

だがトの教えに従っているだけでは、どうしても国が治まらない状況が起こることもある。「その時には、従わない人々を切り従えざるを得ない。現代の刑法に当たるのが剣です」。そして鏡には、人々がその姿を映し、自らの身を正してほしいという願いが込められているという。指導者が守るべき教えを三種の宝物で示すというのは、どこか「政府の権力行使を憲法で制限する」という、現代の立憲主義を思い起こさせるが、日本ではこうした考え方が縄文時代から継承されているということは、とても興味深い話ではないだろうか。

 

神社とは、ご先祖がまつられている場所

いときょう氏の話は、日本全国に存在する神社へと展開していった。「全国に8万社あるという神社。神様がいらっしゃる場所という感覚をもつ人が多いと思うが、神社とは、かつて人として生きていた、日本人のご先祖がまつられている場所なのです」。古代日本では、カミとは指導者であったことから考えると、いときょう氏の話す神社観にはうなずけるものがある。また東郷神社、乃木神社など、日本のために活躍した人物をまつる神社が存在するのも、こうした考え方から生まれたのではないかと想像できる。

 

いときょう氏はイタリアのナポリを訪ねた際、地元の人に「イタリアの山々には、神様はいるのか」と尋ねてみた。返って来た答えは「山々にはいない。神様は教会にいる」というものだった。「一方、日本の場合は至る所に神社がある。私たちの祖先があちこちにその痕跡を残している、すごい世界が日本には広がっているのです」

 

征服者が天皇なら、神社は残っていないはず

8万社もの神社が日本の各地に存在することは、大和朝廷が海外からやって来た征服者によって作られたという説への反証にもなっていると、いときょう氏はいう。「神武天皇は海外からやって来て、この国を征服したという説があるが、もしそうだとすれば征服以前の先祖を祀っている神社は必要がなくなり、すべて潰されているはずです」

 

これらの話を受けて由佐は、「日本の神は、かつて実在した人が神になっていること、そして古代日本のカミとは、指導者であったということがポイントなのだとわかりました」と話していた。

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体内の流れを整える、古代の「アワ歌」

このセッションでは、いときょう氏と来場者が一緒に、「アワ歌」という古代から伝わる歌を一緒に歌う場面もあった。アワ歌はイサナギ、イサナミが人々の「ことは」(言葉)をなおすために歌われたとされるもので、これを歌うことで天から地へ、地から天へと渦巻が起こり、体内の流れが整えられて、宇宙の循環にマッチするようになるという(因みにアマテルカミを生んだイサナギ、イサナミも、ホツマツタヱでは実在した人物として描かれている)。

 

アワ歌をいときょう氏と一緒に歌った来場者は、「聞いていると気持ちが落ち着く。意味はわからないが、タマのために歌っていることが感じられる」「日本の民俗芸能を聞いている感覚になった。そうした民俗芸能は発祥がわからないものが多いが、ホツマツタヱを学ぶことで、それらの発祥が見えてくるかもしれない」「歌いながら動かす手の動きが、やはり体の中の流れを整える、ヨガの太陽礼拝に似ていると感じた」といった感想を述べていた。いときょう氏はこれらの感想に「インディアンのナバホ族の歌と似ているといわれたことがあります。底に流れているものは同じなんだ、共通しているのだと思います」と応えていた。

 

最後に由佐は、「日本人の感性は、世界でも独特だと思っているが、ホツマツタヱが語っていることはとても日本人らしいと感じた。ホツマツタヱが伝える感性は、もともと日本人がもっているものだが、それを取り戻していく必要があると思いました」と話して、会をしめくくった。

 

顔写真いときょう   1949年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。会社経営者。
若狭彦神社(福井県小浜市)を皮切りにホツマツタヱにゆかりの地を訪ね、執筆を重ねてきた。各地で勉強会を開催し、ホツマツタヱの内容を一般の人たちに解説している。著書は『やさしいホツマツタヱ』(ホツマ出版)『古代史ホツマツタヱの旅』(同、全5巻)など。

 

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