「私の問いとの対話」〜 人生の中にある『問い』から創り出す未来

人生の中に、たしかに存在しているはずの「問い」。でも、忙しい日々を過ごしていると、自分が問いを抱いて行きていることにすら気づかない、ということも多いのではないでしょうか。

「あなたは今、人生でどんな問いを抱えながら生きていますか」との問いかけから始まった、

「私の問いとの対話」コミュニティー・ラーニング hosted by 由佐美加子 〜人生の中にある『問い』から創り出す未来〜

ひとりでは見過ごしたり堂々巡りになってしまいがちな「自分の人生に今ある問い」を互いに持ち寄り、対話を通して自分自身が今この瞬間向き合っているものを紡いでいく、探究心と気づきにあふれた場となりました。このワークショップの内容を後日視聴した際のレポートをお届けします。

「質問ではなく、問いです」

場に先立って、参加メンバーにはあらかじめこんな問いが投げられていました。まず、「自分は今、人生においてどんな問いをもっているか」。各々が考えてきた「自分の問い」を、チャットに書き込んでいくことから、スタートしました。

みんなの問い(一部)

・お金の捉え方をどのようにしたら循環が起こるだろう
・自分がワクワクで動いているのか効力感で動いているのか分かりません
・ぼくはいったいいつまで学び続けるのだろうか
・頭ではなく、自分の身体で考えるには
・自己との調和、人との調和、世界との調和を生きるには

チャットに書き込まれていくそれぞれの「問い」を見ながら、ファシリテーターの由佐さんが投げかけます。

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「質問になっている人は、問いの形に書き直してください。問いは、すぐには答えが出ない、YES/NOでは答えられないものです。『〜するにはどうしたらいいですか?』というような知識獲得型のものも、形を変えてください」

質問と問いは、よく似ているようにも思えます。いったいどう違うのでしょうか?由佐さんからは、このような説明がありました。

「よくある『質問』の形は、「誰かがこの答えを持っている」ということを前提としています。そういう、外側にある答えへ向けた「質問」ではなく、内側に向けた「問い」を創ってほしいんです。自分が何を大事にしたくて、どうして今この問いが自分の人生に現れているのかを、今日は探求していきたいと思っています」

プログラムの意図が改めて明かされ、各々が「今なぜその問いがわたしの人生に現れているのか」を問いとして、小グループで語り合う「チェックイン」に入りました。

今なぜその問いがわたしの人生に現れているのか

「問い」と人生との関連について、由佐さんはこのように語っています。

「問いは、まず、関心がないと現れない。その人のライフミッションの何かに関連しているものです。かつ、その問いは、誰とも共有していない個別のものでもあって、現れてくる問いはみんな違う。人生って、その人だけが抱えている問いをその人が生きられるか、なんだと思います」(由佐さん)

他の誰かへの「質問」ではなくて、自分へ向けた「問い」。それは確かに自分自身に固有のもののはずです。しかもそれが自分のライフミッションに関係するとしたら…?聞いているうちに、自分でも考えてみたくなってきました。

チェックインを終えたメンバーが次々に全体のzoom会議室に戻ってきました。参加メンバーからは、まず、

「他の人の問いを聞いていても、ショックが走った」
「最初立てた問いを、『外側への問いだ』と気づいて言い直したら、聞いていた全員がはっとするようなものになった」

との感想があげられました。

「問いを研ぎすませていくことで、顕在意識で考えていたことから、本当に自分の命が大切にしたいものに、どんどん深まっていくんですよね。そして、自分の中心を射抜くような言葉がそこから紡ぎだされた時に、自分の生命エネルギーにつながれるんじゃないかと思う。みんながじわーっと感じるようなものになる」(由佐さん)

自分の中心を射抜くような問いとは、どういうものなのでしょうか。

「あれしなくちゃいけない、こうしたほうがいい、というようなものが何もない、自分の生命から発した問いというのが、一番パワフルだと思います。何が正解かも分からない、でも自分はその世界を追いかけていきたいという。そういったコミットメントのある問いは、自分の人生にベクトルを与えてくれると思うんですよね」(由佐さん)

その問いは、恐れからか愛からか

次に、「『自分の問いの起点は、恐れか愛か』ということを、同じグループで探求してきてみてください」と、新たな問いが投げかけられました。

わたしたちは常日頃、2種類のエネルギーを絶え間なく感じています。「〜だから、こうしなくてはいけない」「〜するために、こうしたほうがいい」という恐れのエネルギーと、「〜があって、そしてわたしはこうありたい」という愛のエネルギー。今ここにある「問い」の源は、そのどちらなのでしょうか?また、それはどのようにして知ることができるのでしょうか?

「それを知るには、正直になるのが重要です。『この問いを発したとき、わたしの中にこういう気持ちや感覚がある』ということを、頭で考えるのではなく、身体で感じてください。問いはエネルギーなので、その言葉を放ったとき、わたしの身体はどう反応するかが大事。それをみんなで確認しあってみてください」(由佐さん)

「正直になることが重要」という由佐さんの言葉にぎくりとします。わたしにはええかっこしいなところがあって、例えば「愛か恐れか」と問われた瞬間、そのええかっこしいな部分が「愛が正解で、恐れは不正解だよ〜」と、ささやいてきます。そして、その声が聞こえると、自分が本当に感じていることは分からなくなってしまう…。「頭ではなく、身体で感じる」というのは、そうなってしまった時のヒントになりそうです。

2度目のグループ対話では、参加メンバーが、自分の身体の感覚や身体に起きていることと、様々に向き合った様子がうかがえました。

「自分では自分の問いを恐れから発していると思っていたんだけど、みんなにいろいろ話を聞いてもらっていたら、結局その問いは愛から出ているんだ、と気づきました」(参加メンバー)

「恐れから話している時と、愛から話している時で、ほっこり感が違うのがよく分かりました。最初恐れの感覚があったんですけど、途中から、僕だけじゃなくて他の人の話している内容も変わっていく。相当安らぐ感じがあって、驚きました」(参加メンバー)

参加メンバーが気づいた、恐れから愛への変化は、どのようにして起きるのでしょうか。

「恐れというのは、分断を通して現れます。逆にいうと、分断のない世界には、恐れを感じにくい。そして、聞いてもらうことで、『エネルギーを受け取ってもらえた』と感じられたら、エネルギーが循環するんです。何を話しているかではなく、その言葉を話している自分の起点が「恐れ」から「愛」に変わっていくことで、放たれるエネルギーの質もまた変わっていく、ということなんだと思います」(由佐さん)

鍵となるのは体感覚

その鍵となるのが体感覚だと、由佐さんは続けます。

「恐れと愛が全然ちがうということは、みんな体感覚で分かると思います。自分は今、どちらから行動しようとしているのか、ということには、意識的になれるといい。怒りくるってても、愛から行ったほうがいい訳です。同じことでも、『どう思われるんだろう』という恐れから怒っちゃうと、相手は分断されたショックだけを受けることになる。人を対象物として扱わずに、自分と相手は、自分と世界はつながっているんだというところに起点を持てるかどうか。それは、発する言葉のインパクトに影響してくると思います」

「問い」の探求は更に続きます。由佐さんから次のアクションについて投げかけがありました。

「ここから、自分の問いはどんなニーズから起きているのかということを、ニーズリストを使ってみていきます。体感覚だけでなく言語の力も使って、感性と知性の両方をつかって全体性のエネルギーにアクセスするということをやってみたいと思います。NVCを知らない人のために説明しておきますが、「ニーズ」は、生命エネルギーに言語のラベルを貼ったもの、ニーズリストはそれをリスト化したもの、という風に理解しておいてください」

「恐れ」にいたくない気持ち

ひとたび「恐れ」の感覚に自覚的になると、思いのほか自分の思考が恐れを起点としていることに気づかされます。ワクワクした気持ちで行動していると思ったけれど、実は効力感にかられているような気もする。ワクワクと効力感ってどう違うんだろう?…参加メンバーから寄せられたそんな声に対し、由佐さんはこう答えます。

「恐れが良くないんだ、って思っているでしょう?ワクワクのほうがよくて、効力感はダメなんだ、っていうレンズの中にいるんだったら、そういう思考になるよね」

しかし、それは人間がデフォルトでもっている機能でもある、と由佐さんは続けます。

「この世界は二元論でできているという世界観をみんなが持っています。正しいこと/間違ったこと、があり、いいこと/悪いことがある、という風に世界が形成されている以上、その「悪い」をなんとか良くしたい、というのは、人間の機能としてやらざるを得ないでしょう。どうせなら正しく、美しいことをやりたい、という風に思う。そのこと自体、いいも悪いもない。やらざるを得ないときもいっぱいあるけれど、それだけじゃなくてワクワクっていう世界観もある、というところに立てたらいいよね。そうしたら、二元論の葛藤からは出られると思います」

「恐れとか効力感じゃなくてワクワクで本当に自分の望む行動を取る、ということじゃないんですね」(参加メンバー)

「恐れも効力感もワクワクもすべてある。そして、何を選びたいか、だけ。何を選んでもいい。恐れもあります、不安もあります、が真実ですよね。そして、可能性も感じている。で、わたしは、今回何を選びたいのか、だよね。全部抱えたまま選ぶの」(由佐さん)

すべてがある、そしてわたしは選ぶ

あるもの全部を受容し、そこから選択することについて、由佐さんの言葉が続きます。

「すべてを抱えたままで選ぶ、というのがポイントです。全部いつも抱えたまま生きる、でいいんです。手放そうとしなくていい。で、選びたいものを選ぶ、という風にしていけると、一番いい。すべてのエネルギーを感じ取れたら、そのエネルギーを自分が使いたい、という方向に向けることができます。『そのエネルギーがよくない』という風にしているうちは、そこにはアクセスできないから、それなしの世界で、なんとかやっていかなくてはならない、という感じ」

行動を選択するとき、わたしはどんな風にしているだろう。由佐さんの言葉を聞きながら、そんなことを思いました。恐れもあるし不安もある時、わたしは「だから(やめよう)」か「でも(やってみよう)」のどちらかを選んでいます。しかし、ここで語られているのは、「そして」からつながる選択です。恐れや不安を、行動しない理由にもせず、かといって無いことにしてやみくもに進むのでもなく、「それはある」と認めた上で、自分の選びたいことを選び取る…新しい選択の仕方が見えたような気がしました。

ここで、改めて問いが投げられました。

「自分の問いが、今自分の中にあるどんなニーズから起きているか、ニーズリストを使ってグループで探求してみてください」

なんか楽しい、なんか嬉しい。20分のグループ対話を終えて戻ってきた参加メンバー。表情や声から、楽しげな雰囲気が漂っています。

「かなり楽しかったです!」
「なんか嬉しい気持ち〜」

そして、このような気づきのシェアがありました。

「始めの問いは、『人の生きる意味』って絶望的だったんですけど、『人生を味わいつくすとは』という感じに問いを変えていって。ニーズとしては、遊び・祝福・JOY・イキイキさ・本物であること…。本当に起きてくることを体験して、感じて…それを繰り返していくんだ、そこで起きてくることをギフトとして祝福するんだ、っていうような、そんなことがでてきました」(参加メンバー)

「同じ問いでも、自分の体調や状況によって、つながるニーズが違う、ということを話していました。でもそれを更に深く考えてみると、ひとつのニーズとつながってくる、というようにも思えてきて。わたしの場合は、聞いてもらう・受け入れる・大切にする…といったところに行き着くな、という感覚があります。そのことを自分ひとりの中で問うている時には、いい/悪いとか、ネガティブ/ポジティブになりがちだった。ところが今回、初めて会った人たちと話していく中で、ほんとうにニーズにつながった。すごいと思いました。エネルギーの循環というものを実感できて、びっくりしました」(参加メンバー)

「素敵ですね。じゃあ、今、どんな問いで終わっているのか。わたしの手元にある問いを、それぞれチャットにアップしてみてください」(由佐さん)

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探求を経た、みんなの問い(一部)

・身体は今、どのエネルギーとつながろうとしているのか
・人生を味わいつくすには
・やりたいの?やりたくないの?で、やるの?やらないの?
・わたしがかぽっと効果的にはまる働き方はどんなものだろう
・すべての力を目覚めさせる愛とは
・世界はわたしの何をほしがってるのさ

「パワフルだねえー。読んでるとわくわくしますね」と読み上げた藤本さんがつぶやきます。みんなが笑顔でグループ対話から戻ってきた訳が伝わってきます。

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「みんながこういう問いをもって、自覚的に小さな一歩を進んでいくと、社会は本当にそこから変わっていくんだろうな、という歓びを感じますね」(藤本さん)

「ぜひこの問いを、PCのスクリーンに置いておくか、どこかに貼っておくかしてください。問いは、答えがないからこそ、人生を懸けて探求する価値があるんですよね。そういう問いにめぐり会えるというのは、自分の人生にとって、鮮明に生きる歓びをもたらしてくれるものだと思っています。問いは意識が変わるとまた変わっていくし、いろんな問いに行き着いていくと思うんだけど、問いが今なんなのか、それで自分が満たしたいと思っている生命力はなんなのか、エネルギーはなんなのかっていうところに、意識的に人間がつながっていけたら、現実は、もっとニーズが満たされる世界になるんじゃないかな、と思っています」(由佐さん)

最後の問いは「この問いから何を創り出したいですか。明日からの小さな一歩は?」
今日それぞれの内側に生まれた問いを明日からの現実の人生につなげる。会はそんな問いかけでしめくくられました。

グループでの対話を終えて戻ってくるときのみなさんの顔が、とても印象的でした。遊び足りたような満足そうな顔もあれば、もっともっと時間がほしかったなあ、というような顔も。そんなみなさんの様子を、わたしは、「問いは、人にとってなんでこんなに面白いんだろう?」と思いながら見ていました。

それが今日のわたしの問いだったのかもしれません。「問いってどんなふうにおいしいの?」言葉にするとこんな感じです(笑) 「人はなぜ問うのか」といったちょっと固い表現よりも、「それおいしいの?」のほうがしっくりくる。「問う」という行為の中にある、甘さや辛さや歯触りやジューシーさや…そういったものを、しっかり味わい分けてみたい。そんな風に思いました。

筆者:八田吏(CCCファシリテーター養成講座プロコース3期修了生)

 

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【オンライン】○○から自由になるコミュニティ・ラーニング hosted by 由佐美加子(全8回)

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