「人生の自作自演ドラマから自由になる」 ○○から自由になるシリーズ(2)

オンラインで対話しながらひとつのテーマを探求していく「○○から自由になるシリーズ」、

第2回のテーマは「人生の自作自演ドラマから自由になる」。

「自作自演」って聞いただけで、なんだか叫び出したいほど恥ずかしいーーー!!!実はこの動画、見始めるのに躊躇がありました(笑)「自作自演」と聞くと、自分で引き起こしておきながら勝手に困っていて、しかも演じてることに自分だけが気づいてない…思い当たる節が多々あるだけに、聞いただけで冷や汗がでてきます。しかし、当日のご参加は25名。ということは、そんな風に自作自演を演じているのはひとりじゃない、はず(笑)!

ひとりひとりが、心の中でどんなドラマを持っているのか、そして、ドラマをつくってわざわざ演じているのはなぜなのか。今回の自由になるシリーズは、その仕組みを探求する会となりました。

駆り立てられるようにやってしまうこと

「あなたが、駆り立てられるようにやってしまうことは何ですか?」

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ファシリテーターの海さんの投げかけに呼応して、各々がチャットに、自分の“駆り立てられるようにやっていること”——— やりすぎて人に「どうしてそこまでして?」と言われるようなこと、逆に、頑としてやらずにいることを書き込んでいきます。

「車が割り込んでくるとにらんでしまう」「ついついポジティブな返事をしてしまう」「仕事にのめりこむ」。そんな、日常の中の「駆り立てられる行動」がたくさん集まりました。

さて、わたし自身の「駆り立てられるようにやってしまうこと」ってなんだろう。考えてみました。すぐに思いつくのは、「やたらと引き受ける」ということです。他の仕事でぱつぱつな時でも、体調が悪くても、気がついたら「やります!」と手を挙げてしまっている。引き受けすぎてちょいちょいパンク寸前になっているのになかなかやめられません。なぜいつもそうなっちゃうんだろう…本当に分からない!なぜなのか知りたい!先が楽しみです。

痛みを回避するために、わたしたちは行動している

「人は“痛みを避ける”ということを前提として生きています。」ファシリテーターのみいちゃんが、自身の体験をもとに、話し始めました。

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「例えば、わたしは小さい頃から『人の面倒を見る』ということをやってきました。人に『助けて』と言われた時に、全然自分のことを省みず、駆り立てられるようにそれに没入してきた。わたしにはもともと、人はわたしが本当に苦しい時には助けてくれない、という信念があります。だから自分だけは人にそれをやりたくない、と思っていたんです。だから駆り立てられるように人の面倒を見てしまう。一方でそのことについて自覚はない。延々と人の相談に乗って疲弊する、ということを続けていた。もうこれ以上人の面倒を見たら死んじゃう、というところで、初めてこれは何なのかということを見始めたんです」

痛みを避けるということは、生存の上での大きな関心です、とみいちゃん。小さい頃に体験したいろいろな痛みを、人は二度と感じたくないと思っている。その一方で、そのことに必死になっているという自覚はない。痛みを回避するため、無意識のうちに何かを必死になってやる、ということに人生を使っている…そんな仕組みが明かされます。

わたしはどんな痛みを回避しているのか?

続いての問いは、「その行動をすることで避けられる痛みはどんなものか」。この問いをもって、各チームでの探求が始まりました。PCの前のわたしも考えます。

(仕事をやたらと引き受けることで、わたしはどんな痛みを避けてるんだろう…)

考えてみても、すぐには浮かんできません。だって、避けてることに気づいちゃったら、向き合わないとならないですものね…回避の仕組み、よくできてます(涙)。

でも、せっかくいいチャンスだから、回避したままじゃなくて、ちょっと覗いてみたい…。「逆に考えてみるといい」というみいちゃんからのヒントをもとに、ぐぐっと掘っていってみることにしました。

「仕事をまったく引き受けなかったら、どんな痛みを体験することになる?」そんな風に自分で問いをたててみたら、「暇で暇でどうしようもない」という言葉がすぐに浮かんできました。することが何もない、という状態が頭に浮かび、体温がふっと下がるような、身動きできなくなるような感覚が襲ってきました。…いやー、これは怖い。駆り立てられててもいいから、ぜひ避けたい(笑)!正直そんなことを思っていたところへ、みいちゃんの言葉が飛び込んできました。

「駆り立てられるようにして生きることは、悪くはないんです。効力感で生きて、達成したー!って終わっても悪くない。問題は、それを本当にやりたいと思って選んでいないのに、そういう風になっちゃってる、そこから降りられない、という感覚になっちゃっていること。自由でない、ということです。」(みいちゃん)

なるほど、と思いました。仕事をやたら引き受けるわたしには、「断る」「選ぶ」「誰かと一緒にやる」というような選択肢が浮かんでこないのです。「ひとりで引き受ける」一択になってしまう。たしかにやることはあるので「暇」ではないけれど、でもそれは望んでいる状態とはぜんぜん言えない…

グループ対話を終えた参加メンバーも、チャットに「どんな痛みを回避しているか」を書き込んでいきます。「必要とされない痛み」「仲間はずれにされる痛み」「見下される痛み」…どれも、言葉を聞いただけでも自分も痛くなるような、「うん、それは避けたいよね…」と言いたくなるようなものばかりです。

「表現は様々ですが、これらの“痛み”に共通するのが何かわかりますか?それは、“分離”です。」(みいちゃん)

人は誕生の際、母体から分離することでその生を生き始めます。分離が人間の痛みの根源でもあり、個であるということの始まりでもある。そんな、人間という存在の不思議さに触れながら、探求は進んでいきます。

身体を使って統合する

みんな、それぞれの「分離」の痛みを持っていることは分かりました。さて、わたしたちはそれをどうやったら扱えるのでしょうか。

「分離を自分の中でどのように統合していくか。ポイントは受容にあります。」頭で『あることがあっていいよね』って言ってもそれはうまくいきません。そこで、身体を使っていきます。」(みいちゃん)

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統合のプロセスとして、「感情を受容していってください」とみいちゃん。「痛みは概念なんです」。ショックな体験の記憶として「痛み」という概念が当てはめられている。その周りには、悲しみか怒りといった感情がある。その感情にアクセスすることで、人は、分離した自己を統合していける…

感情にアクセスし、統合していく方法については、ワークを紹介しているので、ぜひぜひ動画をご覧いただければと思います。ポイントとなるのは、「自分の身体に宿る感覚にひたすら目を向けつづけること」ですが、言葉で聞くより実際に動画をご覧いただけると、より理解しやすいと思います。

視聴を終えて

「どんな人も、痛みを避けたくて生きているんだ、というレンズで見た時に、見え方が変わります」

みいちゃんの、最後のこの一言が印象に残っています。わたしの「退屈さへの恐れ」も「分離の痛み」に紐づいているのでしょうか。日々の中で、もう少し探求してみたいと思いました。対話を通して得た気づきを、日常の中で拡大していったり深めていったりできる面白さがこのシリーズにはあります。次回もとても楽しみです。

筆者:八田吏(CCCファシリテーター養成講座プロコース3期修了生)

 

【まとめ動画】
○○から自由になるコミュニティ・ラーニング【シリーズ第2回】
〜「人生の自作自演ドラマ」から自由になる hosted by 由佐美加子

○○から自由になるシリーズ

【○○から自由になるコミュニティ・ラーニング】は以下の日程で開催する予定です。

テーマは毎回変わりますが、日々充足して生きることに直結する、学校では教えてくれないテクノロジーをシンプルに、誰でもできるように、日々実践できるような内容でご提供します。

また、参加された方、録画動画を視聴された方は、録画視聴した後の感想や、参加後に体験した事のシェア、湧いてきた質問などを共有しながら共に気づきを深めていくことを意図したFacebook非公開グループに参加が可能です。

連続で参加できない場合でも反復と刷り込みと小さな実践を日々重ねていくことをサポートできるように、グループ内で由佐が様々な質問や体験のシェアに答えていきます。

第1回目:5/25(火) 「不本意な反応」
第2回目:6/14(火) 「人生の自作自演ドラマ」
第3回目:7/5(火) 「人生を縛る『お金』という概念」
第4回目:8/11(木・祝) 「何だか分からない罪悪感という感覚」
第5回目:9/28(水)  「得体の知れない【恐れ】」
第6回目:10/26(水) 未定
第7回目:11/22(火) 未定
第8回目:12/13(火) 未定

※ 過去動画は最新でオープンになっている回の申し込みページから購入が可能です。

※ 時間は各回20時〜22時半を予定。全てオンラインでの開催。

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